八丈小島

東京都八丈町 地図を表示
 八丈島から西に4〜7.5kmの場所に浮かぶ無人島です。
 この島には室町時代頃にはすでに定住していた人々が居たようで、江戸時代には鳥打村、宇津木村が置かれていました。(位置の詳細は地図を参照のこと)

 その中でも宇津木村は昭和30年(1955年)に八丈町と合併するまで人口が50人程だったために、地方自治法の特例で議会を置かずに、20歳以上の選挙権を有する者全員にで議決をする日本唯一の直接民主制の村でした。

 主な産業は失業対策事業の公共工事への参加、漁業、農業、畜産、テングサの採取であり、飲料水は雨水に頼っていました。生活は非常に厳しかったようです。

 厳しい生活環境や人口流出の問題などもあり、昭和40年(1965年)頃から八丈島へ全島民移住という案が出され、昭和41年(1966年)に全島民からの離島請願が東京都に提出されました。
 3年後の昭和44年(1969年)東京都の援助を受けて八丈島への移住が開始され、6月に全島民の移住が完了し、それ以降は無人島となっています。

 現在は磯釣りやスキューバダイビングのポイントとなっており、八丈島で手配した漁船などで渡る人が多いようです。(島内での宿泊は禁止されています。)

 また移住時に取り残されたヤギが繁殖し、その影響での環境悪化などの問題も発生しています。

八丈小島のノヤギについて


八丈小島(画像クリックで大きい画像へ)
全島民撤退直前の島の人口

宇津木村9世帯31人
鳥打村15世帯60人
(最盛時の人口は513人)

交通手段

無し